ディスクロージャーが突然の活動休止からカムバックしたのは2017年のこと。マリ共和国のシンガーであるファトゥマタ・ジャイワラをフィーチャーしたシングル「Ultimatum」のサプライズリリースを皮切りに、フロア向けにチューニングされた4曲入りEP『Moonlight』のリリース、おなじみサム・スミスによるドナ・サマーのディスコクラシック「I Feel Love」のプロデュースなど矢継ぎ早にリリースを敢行した。

 そして彼らの長く待たれたフルレングスのサード『Energy』の前哨戦とも言える今作はもちろんその流れを汲むもので、大ネタのサンプリング、ディスコ、アフリカ大陸への憧憬など、彼らがカムバックして以来こだわり続けてきたこれらのキーワードにならいつつ、何のメッセージ性もない、ただ音の楽しみだけを追い求めた、まさにタイトルにある”Ecstasy”(絶頂)へと結実した。

 1曲目のタイトルトラック「Ecstasy」は今作のなかで最もプリミティヴな仕上がり。堅い四つ打ちに展開していくシンセがひたすら反復していくのみ、しかし時折挿入されるワンショットのヴォーカルサンプルや絡みつくようなエレピのフレーズ、それらを絶妙なタイミングで抜き差ししつつ、かつフィルタの強弱のみでテンションの波を作り出してゆく。彼ら兄弟の巧者ぶりがうかがえるトラックで、やはりスタンダードなハウス的四つ打ちをクラブのみならずホームリスニングにも耐えうるように仕上げているのは流石だ。

 2曲目の「Tondo」は今作の目玉といって差し支えない出来栄え。カメルーン出身のエコ・ローズヴェルトによる「Tondo Mba」のリエディットで、フランスのDJ、フォラモアもBoiler RoomのDJセットでも取り上げており、カメルーニアンディスコとでも呼べるような曲。原曲よりもキック、ベースなどの低域がより詰まっており、テンションも早めだ。彼らは前述した通り、サム・スミスとの仕事、また『Moonlight』での「Love Can Be So Hard」の仕事でもストレートなディスコを展開していたが、この曲はディスコミュージックにトライバルな要素が一捻り加わっており非常に楽しい。

 3曲目の「Expressing What Matters」は大問題の大ネタ使い。AORの代表格であるボズ・スキャッグスの名曲「Lowdown」を大胆にもフィーチャーした楽曲。こちらも2曲目同様、原曲をかなり忠実に残したリエディットになっているが、ドラムスは原曲における生の感触が消え、彼らの明確に操作されたビートプログラミングが冴え渡っており、またメロディには空間系のエフェクトが巧みに使われより浮遊感のある雰囲気に。

 4曲目の「Etran」は「Tondo」ともつながる感覚を有している。しかし「Tondo」がディスコなどの白人的な音楽を志向しているのに対して、「Etran」はよりトライバルでアフリカンな音を出している。アフリカ大陸のなかでもとりわけ貧困国として知られるニジェール出身で、シルバーアクセサリーの細工で著名なトゥアレグ族などの民族で結成されたエトラン・フィナタワをフィーチャー。兄弟のテリトリーであるハウスミュージックにおいてどのようにこの楽曲を表現するべきか相当な労力が掛かっただろうことが容易に想像でき、今作のなかでも最も抑揚のない典型的な四つ打ちのハウスマナーに沿った土台にありながら、リズム、音のテクスチャ、ヴォーカルサンプル、どのパーツを取り上げても明らかにハウスに思えないという今作、最も異端な曲だ。

 そしてクローザーの4曲目「Get Close」、こちらは8年前ほどに未発表曲としてYouTubeにリークされている。詳しい出自ははっきりしないが(すみません……)、ディスクロージャーが過去に楽曲をリリースしていたことのあるレーベル、グレコ・ロマンがラブボックスというフェスティバルに提供したミックスに「White Label」というタイトルで聴くことができる。つまり今作の楽曲はすべてが活動休止後の膨大なスタジオワークを経てスクラップから作られたが、この曲だけは違うことになる。なぜ今になって引っ張り出したかはわからないが、8年前と違うのはスヌープ・ドッグのサンプリングとそれに続くドロップ部分が新たに追加されたことだ。

 彼らの正式なリリースは活動再開してから前作のEP『Moonlight』それに続く今作のEP『Ecstasy』とミニアルバムが続いているが、そのどちらもポップネスとクラブユースの絶妙なバランス感覚を有しているのが大きな特徴で、このバック・トゥ・ベーシックともいえる率直なスタイルは彼らのカムバックに対する賞賛の声を高めていることは間違いない。世の中がコロナに侵され、世界中でロックダウンやセルフ・クアランティンが叫ばれるなか、敢えて”Ecstasy”(絶頂)と宣言することは失われたクラブのエネルギーが復活することを望む彼ら兄弟の希望ではないかとも言われている。

 しかしどうだろう、確かに彼らはロンドンにおけるアンダーグランドなダンスミュージックの洗礼を受けた。ブリアルに憧れた青年で彼ら兄弟の成功の先達にはジェイムズ・ブレイクやジョイ・オービソンもいた。そして今でもUKガラージのようなロンドンのクラブサウンドを愛していると公言している。しかし彼らは常にポップスのフィールドで勝負し続けてきたのも事実だ。イギリスからアメリカを股に掛け近年のイギリスのミュージシャンとしては誰よりも早くニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンを埋め、長い歳月をかけ彼らの考える良質なハウスミュージックをビルボードのトップに食い込ませた。自分たちをパーティピープルではないとしながら、しかし同時にイギリスを代表するスクリームと底なしに明るいB2Bだって披露した。だからこのEPで”彼らがクラブに戻ってきた”とか”フロアを志向した”とか、そういう枕詞で片付けるのは少し単純すぎると思うのだ。このEPの本質はクラブとポップス、メジャーとアンダーグラウンドという異なるフィールドを接続する面白い企みであり、そのバランスをどう取るかということは彼らがずっと取り組んできたことだ。それは彼ら兄弟がデビューアルバムで、絶妙なタイミングで完璧に無意識に成し遂げたことと同じであり、しかし今度は焼き回しにならない形で、さらに賢くなった自分たちで意識的にそれを実現しなければならない、そんな中、このEPはその目的に対して誠実に取り組んで、実現に今までになく迫ろうとしている。

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