イェジことキャシー・イェジ・リーはブルックリンをベースに活動する韓国系アメリカ人。今作の『EP2』は彼女の出世作ともいえるミニアルバムで、四つ打ちのハウスミュージックを基調としながらもトラップのビートを取り入れた折衷的なビート、そしてベッドルームスタジオ的な程よいローファイ感と下がりすぎないメランコリア、また韓国語と英語を縦横無尽に取り入れながら歌い、ときにラップをし、そして時折立ち現れるアトモスフェリックなASMR的ヴォーカルプロダクションなど、彼女のシグネチャー的サウンドがきっちりと詰まった4曲入りに仕上がっている。
まず最初に浮かんだのは、そもそもこの音楽をハウス・ミュージックの括りで語っていいのかという疑問だ。〈Resident Advisor〉による“彼女はほぼロック・クラブでプレイしている”という指摘(批判ではない)や〈Boiler Room〉におけるDJのセットアップに自身のヴォーカルを組み合わせたライブセットなどから、彼女はオーセンティックなDJ––あるいは同じ出自をもつペギー・グーのようなDJ––を目指しているタイプではないと捉えられる。それは意図的にインディーズやオルタナティヴ、もしくはピッチフォーク的な文脈へと自らをプロモーションするということではなく、あくまで彼女の好奇心や興味をベースにしながら音楽に対してもっとカジュアルなアプローチを取っているということだ。つまり今作はクラブで機能することを念頭においたクラバーによるクラバーのためのタフなダンス・ミュージックではないかもしれないが、彼女の趣味嗜好が4曲にうまくシャッフルされ、そこに紛れもなく彼女のハウス・ミュージックに対する経験が詰め込まれているのだ。
幼少期の頃から彼女はどうやら”門限のあるタイプの女の子”だったようで、母親には“22時から夜中の2時の間の睡眠“がいかに重要かを口酸っぱく言われ続けてきたそうだ。そんな生活に”クラブ”や”パーティ”といった類が引き合わせられることはなく、いわゆるダンス・ミュージックとは無縁だった。そこに転機が訪れたのは大学在学中にアートを専攻しながらピッツバーグで生活を送っていた頃、近しい友人と初めてクラブ・カルチャーにのめり込み、程なくして〈WRCT〉というローカルのラジオに出入りするようになったときのことだ。そこからはハウスなどのダンスミュージックに親しむようになり、〈Discwoman〉に提供したミックスでは10代から入れ込んでいたというヒップホップを筆頭に、ディープ・ハウスのレジェンドであるミスター・フィンガーズ(AKAラリー・ハード)のクラシックなどがセットリストに組み込まれている。
オープニングトラック「Feeling Change」の”Speaking like a breathing”(息をするように話してる)というラインからも察しの通り、今作におけるウィスパーヴォイス、いや現代的に換言するのならば“ビリー・アイリッシュの時代に良くフィットしたASMR型のヴォーカル”とも言うべき手法は、今作のキーポイントとなっている。アンビエント、ヒーリング的なシンセパッドに始まり、空間系を巧みに操った彼女のASMR型ヴォーカルは今作最短の2:35秒とは思えず、まるで時間がどこまでも続くかのごとく引き伸ばされてしまったように錯覚させる。
続く「Raingurl」と「Drink I’m Sippin On」は今作の目玉トラック。どちらも英語と韓国語を自由に行き来する彼女ならではのヴォーカルに、シンプルなフレーズによってヒプノティックに迫ってくる中毒性抜群の素晴らしい楽曲、ピークにわかりやすいフレージングとリズムでたたみ掛けることによって間違いのないシンガロング系、バンガー系のトラックに仕上げており、前者は四つ打ちのハウス、後者の楽曲はトラップの作法に従ったビートプログラミングで、〈Ableton〉でトライ&エラーを繰り返して学んだ彼女のトラックセンスが垣間見える。
もちろんカナダのドレイクによる「passionfruit」のリワークも聴き逃せない出来栄えだ。より霞んでいて不鮮明なトラックに今にも消え入るような彼女のヴォーカルが乗るこの楽曲は原曲よりもはるかに音数が少ない、そこには暖かいピアノも歪んだフルートもなく、クラップとパーカッションも必要ないと言わんばかりの単純な四つ打ちの進行に対しては”ミニマリズム・リミックス”とでも形容したくなる。
そして今作の全体に通底しているのは”下がりすぎない”(ここが重要)メランコリックな感覚だ。前述の通り「Raingurl」のようなバンガー系をも有するEPでありながら、このどこか寂しげな感覚をも想起させる点、そして彼女の英語と韓国語を両用する歌詞をつぶさに観察すると”アイデンティティ”といった比較的ヘヴィーなテーマが立ち現れてくる。彼女は韓国を出自としながらもアメリカで生まれ、ニューヨーク、アトランタ、そして韓国へ帰り、日本に寄り道をしてまたニューヨークへと戻ってきた。このコンスタントな移動は彼女が友人との関わりを難しくさせた要因となり、ティーンエイジャーにおける多くの時間を内向的な趣味へと向かわせた。生まれのアメリカではアジア人としてマイノリティであり、故郷のソウルに帰っても英語が流暢でかつ韓国語が(当時)はそこまで話せないためにマイノリティであった、つまり彼女はどこでもアウトサイダーとしての記憶を抱き続けてきた。この感覚が彼女の作品性や空気に反映されていることは言うまでもない。しかしそれはただ悲しいメランコリーなのではなく、ただありのままの自分を表現することが心地良いと感じる彼女の、優しさや晴れ晴れしさと一緒になって送られるものなのだ。